イラク・バスラのジャワッド・アル-アリ医師が2021年10月16日に逝去されました。(脳出血によるもので、直前までお元気だったとのこと。)アル-アリ先生は、2002年12月、世界中でイラク攻撃への懸念が高まるなか、来日・来広され、広島原爆資料館会議室で開かれた「イラクの医師を囲むつどい」で、湾岸戦争で大量に使われた劣化ウラン(DU)弾による被害と、開戦されれば再びDU弾が使用されるだろう、新たな戦争への反対を訴えられました。それを受けて、12月下旬、豐田直巳さんの呼びかけ・ガイドで「イラクへの市民平和使節団・調査団」が組まれ、広島からも数名が参加し、バグダッド・バスラの病院などを訪れることとなりました。
それ以降、アル-アリ先生は、何度も来日・来広してくださり、2013年3月、イラク戦争十周年の折りには一緒に福島も訪れ、2015年の世界核被害者フォーラムにも参加してくださいました。DU問題では、文字通り牽引車であり続けられました。(ICBUW禁止運動の取り組みでは、賛成多数で何度も採択された国連決議など、相応の成果はあがったものの、目的とした禁止条約までは至らず、一緒に取り組んだ者として力不足を痛感しています。)
プライベートでは、とても気さくで明るいお人柄で、ご相伴した食事中など、よく冗談も言われていたのが思い出されます。
写真は、1)2007年、EU本部(ブリュッセル)で開かれた豊田直巳さんの写真展「ウラン兵器の人的被害」会場、 2) 2004年10月ブリュッセルで開かれた第一回ICBUW国際大会、3) 2002年12月、豊田さんのガイドで市民使節団としてバスラを訪れた際のものです。
2002年末から19年、様々なところでの様々な思いが重なります。アルアリ先生のご冥福をお祈りいたします。 合掌