デニス・カイン(湾岸戦争帰還兵・DU活動家)5月に来日

皆様

湾岸戦争帰還兵のデニス・カインさんが、来年5月前半、来日する予定とのことです。


カインさんは、昨年夏のICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合)広島大会でも、「ウラン兵器は国家の病の表れ—湾岸戦争帰還兵としての経験から」のタイトルで大変貴重な報告をしてくださいました。

カインさんは、再び来日し、できるだけ多くの集会で自らの経験を伝え、劣化ウラン兵器禁止を訴えたいと伝えてきています。ご関心のある方は、カインさんにメールにてご連絡ください。

dennis kyne <d_kyne@hotmail.com>

ご参考までに、デニス・カインさんのプロフィール、および、近刊の「ICBUW広島大会記録集(仮題)」から、カインさんの報告の一部をご紹介させていただきます。

それでは、宜しくお願いいたします。

草々    嘉指(かざし)信雄

 

デニス・カイン (Dennis Kyne):
米軍に15年間在籍し、湾岸戦争では第18空挺部隊員として、「砂漠の嵐」作戦の最前線に立つ。現在、障害退役軍人。1995 年カリフォルニア州立サンノゼ大学政治学部修士課程修了。在学中、特に核拡散を中心に研究。DU問題に最も精力的に取り組んでいる活動家の一人であり、軍の欺瞞を追求した書籍・DVDをいくつも発表している。2006年8月には、『真実を聞いてくれ/俺は劣化ウランを見てしまった』(阿部純子訳)が出版された。ギターの弾き語りをするミュージシャンでもあり、平和へのメッセージを込めたCDなども発表してきている。ホームページ「真実を支援せよ」(Support the Truth)www.denniskyne.com/


「ウラン兵器は国家の病の表れ—湾岸戦争帰還兵としての経験から」

「砂漠の嵐」作戦で起きていたこと

1991年に、米軍は300トン以上のウランをイラク南部およびクウェートに投下した責任があります。
私は第24歩兵師団に属していました。私たちは、侵攻の最前線におり、兵士たちは瞬く間に体調を崩していきました。
米国訓練マニュアルでは、DUが兵士に及ぼしうる健康上のリスクについて、「鉛や他の重金属のように、大量のウランを体内に取り込むと、健康に影響を及ぼす可能性がある。最初に影響を受ける器官は腎臓である」と記述されています。このことは、民間のケースでも適用します。米国では、鉛は強い毒性を持つ可能性があるため、ガソリンや塗料、鉛筆などへの使用が禁止されています。ところが米軍は、放射性毒性も有する、より危険な重金属を使用していながら、その健康リスクを過小評価しているのです。

「死のハイウェイ」での被曝

湾岸戦争を指揮した元陸軍大将ノーマン・シュワルツコフも、その著書の中で、第24歩兵師団が最前線に立っていたことを指摘しています。私がいた部隊は、南部イラクで放出された300トン以上のウランの真っ直中を、歩いて侵攻して行ったのです。兵士たちはすぐさま体調を崩しました。100時間に及んだ侵攻の間、我々は電離放射線に曝されていたのだと私は思っています。米軍将校らは、我々の作戦が成功し、勝利を収めたかのように公言しましたが、それは嘘です。クウェートからイラクに撤退してゆく戦車群を壊滅させるために使用されたウランのために、我々は所期の目的を達成できなかったのです。我々はバグダッドに侵攻する命令を受けていましたが、それは達成されませんでした。
兵士たちは激しく嘔吐し、何時間もあらぬ方向を見つめているといった状況でした。帰還してから、一万一千名近くの兵士が死亡したことが確認されています。実態はそれ以上であろうと、私は思っています。[クウェートからイラク南部の都市バスラへと至る道は、その戦闘による破壊の凄まじさから、「死のハイウェイ」と呼ばれた。劣化ウラン弾によって破壊されたイラク軍戦車の残骸が長い間放置された一帯は、「戦車の墓場」と呼ばれた。]