オマール君の写真
「白血病を発症して二ヶ月のオマール君」
撮影 豊田直巳 「ヒロシマ・アピール」(65頁)
病院の子どもたち
貞國聖子(さだくに・せいこ)
大学に入学し、広島を離れて京都で学ぶようになると、改めて核について学んでみたいと思うようになりました。あの被爆者の苦しみは何だったのか。学ぶうちに、あることに衝撃を受けました。私は、戦争による放射能被害を過去のものだと無意識のうちに思っていました。しかし現在でも、戦争で使用されている「劣化ウラン弾」というものを知り、怒りと悲しみを感じました。ヒロシマ・ナガサキの訴えは、反核の心を世界に広めましたが、今、形を変えた放射能兵器が使用され、新たなヒバクシャを生み出しているのです。
どうにかしたい。そのために、劣化ウランの被害に苦しむ人々を知りたいと思いました。そして、イラクへ行くことにしたのです。
二ヶ月前は元気だったオマール君
(バグダッド)
オマール君は5歳。ベッドに横たわる彼の顔は腫れ上がり、2つの目は大きなコブになっている。どこに目があるのかわからない状態だ。ベッドには母親が座り、オマール君を看病していた。
小児病院では、患者の親か祖父母が必ず泊まりこんで看病している。子どもだからというのもあるが、何よりもイラクでは医者や看護士の数が絶対的に足りないのが原因だ。
オマール君の母親は一枚の写真を見せてくれた。2ヵ月前のオマール君の姿が写っていた。家族に囲まれ、愛くるしい表情を見せるオマール君。ベッドに横たわる子と同一人物だとは思えない。この写真を撮影した数週間後に白血病を発症し、入院することになった。
白血病というと治らない病気だと思われがちだが、日本での白血病治癒率は約7割だ。しかしイラクではわずか1割程度。その原因は治療薬にあった。白血病の治療を行なう時、同時に4種類以上の薬が必要となる。
しかしイラクが治療薬を輸入しようとした場合、化学兵器への転用の恐れがあるとして、厳しいチェックと制限が行なわれる。その為に、必要な治療薬のうち2種類しか揃わないとか来年にならないと入ってこないといったことが起こり、適切な治療が施せないのが現状だ。
「ぼく、熱い熱い」
(バスラ)
カッラール・ナーセル君は11歳。やはり白血病を患っており、点滴のチューブが彼の細い腕に痛々しく刺さっている。カッラール君はゼイゼイと苦しそうに呼吸をしながら、母親に「熱い熱い」と訴えていた。日本から持って来た折鶴をあげると嬉しそうな表情を見せ、「もう一つちょうだい」と途切れ途切れながらも必死に喋りかけてくれた。
彼の手を握るとひどい高熱だった。母親は我慢できず、ベッドの脇で小さな嗚咽を漏らしながら泣き出した。涙は止めどなく流れる。母親は壁のほうを向き、涙を拭った。このようなことを今までに何度となく繰り返したのだろう。
医者によると彼は白血病の末期だと言う。ガンレベルは1〜4まであり、悪くなるにしたがって数字が大きくなる。カッラール君のガンレベルは4。余命は1か月だと医者は静かに言った。
子どもの墓地(バスラ)
私たちが行った空き地には、見渡す限り子どものお墓が作られていた。子どもの墓地は、この空き地とは別にある。しかし、子どもの医療費でお金を使い果たしてしまった親には、もう墓地に子どもを入れるお金も残っていない。
そこで、空き地に誰かが墓地を作ったところ、どんどん増えていったのだ。お墓はコンクリートで作られ、そこに名前が手彫りで刻まれている。中には生前の子どもの写真が飾られているものもあった。どの子も笑顔で愛くるしい。
私たちが訪れた日、2つの家族が墓前で泣いていた。母親はまだ若く、あまりの悲しさで放心状態のようだった。
小さな墓標が今も増えつづけている。
イラクに行って、日本で見ていた映像と違うことに衝撃を受けましたが、一番重要なことはそこに人が生活しているということです。これはどんな情報にも歪められない、真実です。人が生活しているところに爆弾を落とすなんて、考えられません。そして、将来長きにわたって苦痛を与えつづける劣化ウラン弾は決して使われてはならないのです。
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