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Responses from abroad 3
「アピール」への海外からの反応 3



-----Original Message-----
From: owner-aml@jca.apc.org [mailto:owner-aml@jca.apc.org] On Behalf Of kolin kobayashi
Sent: Friday, April 16, 2004 4:12 AM
To: Recipient List Suppressed:
Subject: [aml 38983] 声明7(転載可)
Importance: High

声明7(転載可)

 私たちはひとつの山を越えました。人質となった日本人三名、郡山さん、高遠さん、今井さんが解放され、心から喜びたいと思います。しかし、この喜びを戦争開始以来、占領軍の攻撃によって犠牲となられた無数のイラク市民の家族の方々と分かち合うことができないのは、たいへん悲しいことです。また新たに拉致された日本人二名、渡辺さん、安田さんのことを考えると、手放しで喜ぶことはできません。
 また、私たちは、ファルージャ周辺で、イラクの罪のない普通の市民たちがハエのように叩きつぶされ殺戮されている最中に、日本人だけ<助けて!>とどうしていえるでしょうか?私たちはその殺戮を犯しているアメリカと肩を組んで歩いているのです。
 とはいえ、私たちは私たち市民としての可能な限りのネットワークを広げることによって、市民社会の連帯パワーの可能性を夢見させてくれたと思います。そのきっかけとなったのは、なんといっても今回拉致された三人の方々です。彼ら、彼女は日本政府が主張しているようなアメリカの大義のない戦争に自衛隊を持って加担するのではない方法、すなわち愛情と友愛の原則に基づいて、勇気を持って関わろうとした数少ない方々です。また現在の日本の硬直してしまった時代の空気の中では小声でしかいえない本当の日本人としての真心と良心を身を持って示してくれたからこそ、多くの市民や団体が彼らが何者なのかをあらゆる手段で拉致グループに伝えようと努力をしたのだと思います。 政府が日本の大半の民意を代表しようとしないとき、市民は市民独自の判断で行動を起こす権利があります。そのことを実践したのが、これらの方々でした。
 そして、拉致したイラク人たちは、政府とは違う良心と愛に基づいた日本市民たちがいたことに気がついたからこそ、またそのような市民を無為に殺傷することはイスラムの精神に反すると説いた宗教指導者たちがいたからこそ、彼らは開放の呼びかけに答えたのだと思います。私たちは、彼らがイラク民衆の心の絆を結んでくれた人たちであると解釈しています。その彼らを助けようと、陳情し、デモし、アピールした多くの心ある市民たちが初めて得た大きな成果だと自信を持っていいのではないでしょうか。
 私たちはこの連帯と共感をより広げ、イラクやアフガニスタンやパレスチナなどの最も抑圧された民衆へと繋がっていくことを期待します。

 明日以降、日本で郡山さん、高遠さん、今井さんたちを待ち受けているのが、<北朝鮮>から戻られた拉致被害者の方々と同じのように、何も言えなくなってしまうような鉛の状況を作り出してはならないとと思います。日本政府や保守のメディアが主張する自己責任論は、政府の責任回避であり、根本的な問題を不問にし、回避してやまない現政府のレトリックにすぎません。生命を一顧だにしない政府がなぜ人道支援ができるのか、人道とはまず生命を尊ぶことではないでしょうか。自衛隊の軍事的なプレザンスこそが、真の緊急人道支援を妨げているのです。
 本末転倒をしてはいけません。このような緊急時で、こうした事態にあった日本人がいた場合に、日本政府が彼らの救援するのは当たり前のことで、そのために政府があり、行政府があるのです。日常の事務ばかりではなく、そういう救援保護活動も公的行政府の遂行すべき任務のひとつなのです。<迷惑をかけるな>などという福田官房長官の言辞は、私企業の社長のいうことです。誘拐や拉致にあった犠牲者の家族が<心配をかけてすみません>と表明しなければならぬ事態。これこそ本末転倒です。緊急時や不可抗力による場合は<迷惑>かけてもいいのです。

 戦火がこれ以上、広がれば、あらゆる人道支援が不可能になります。そうならぬためにも、今予期されているこれからの再度のアメリカ軍のファルージャに対する大攻勢にストップをかける運動やアピールがぜひとも必要だと思います。ブッシュ政権の対応をみていると、パレスチナでも然りですが、自分たちの利益に役立たない国や民衆をゴミのように廃棄しようとしているのです。それにストップをかけるための世界的な運動が不可欠です。そのひとつの運動を今回も経験しました。
 あらたに拉致されているお二人のためには、同じような努力が私たちには必要です。アルジェジーラ放送局は理想的な放送倫理を持っているとはいえないにせよ、中東社会への大きな影響力を持つメディアです。様々な働きかけをしましょう。私たちの闘いはこれからです。

声明7付記(転載可)

庇護権について

緊急時に、国民は国に保護してもらう権利と、国は国民を保護しなければならない義務があります。
その点が欧米でははっきりしているから、欧米の記者たちは拉致された家族がなぜ謝らねばならないのか、理解に苦しむわけです。拉致事件の場合は、どう考えても緊急時です。
福田官房長官、川口外相の発言がおかしいのは、この点です。
ところが、ペルーのフジモリ前大統領のような人には特別な庇護を与えている。あの方はペルー人と認識するのが真っ当な判断だと思われます。彼はペルーから、弾劾され国際刑事法でインターポルを通じて国際指名手配されているにも関わらず、かばっている。迷惑だ、自己責任をとれとは、けっして言わない。あの人こそ、自己責任をとるべき人です。ところが、一般の市民が良心の人道支援をしていて、拉致されると、迷惑だ、自己責任を取れといわれる。これまた全く本末転倒した事態です。泥棒にあった人が、泥棒にあってごめんなさいとはいわない。単純なことです。

犯人たちはテロリストか?

今回の事件の場合、拉致グループ(武装集団)をテロリストと判断するのは、 困難だと思います。これは戦時下、不当な占領に対する住民の抵抗の一形態と思われます。とりわけ、ファルージャのような無差別攻撃があった場合には、 なおさらです。この戦争の本質を考えずに、しかも犯人像が明らかになっていない以前から、テロと交渉するのはまずい、と小泉政権から社民党までいっています。池沢夏樹氏でさえ、そのステレオタイプにはまっています。強盗にあったら、百万円払っても、命を救うべきです。ましてやこのような民衆の抵抗の一形態としての挑戦にあったときには、撤退・譲歩も当然、選択肢のひとつとしてあるべきでしょう。

グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ


南ドイツ新聞記事の翻訳:2004年4月15日9面
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タイトル:誘拐された日本人家族に口枷(くちかせ)
  ヘンリック・ボルク記者
 東京発・だれがどのように彼らを黙らせてしまったのだろうか?

彼らイラクで誘拐されてた日本人の家族たちは、かれらの日本政府に対する批判に、突然口を閉ざしてしまった。三日前には家族たちは大声で日本軍のイラクからの撤退を要求していたのである。先の日曜日には、イラクで誘拐された34歳の高遠菜穂子の妹の井上綾子は「私たちが最も望むのは撤兵によって(人質の)命が救われるようになることです」と述べていた。高遠はイラクでストリートチルドレンを援助しようとしていた。
イラクの誘拐犯は、ビデオで高遠とともに18歳の反戦派の今井紀明と34歳のジャーナリスト郡山総一郎の喉元にナイフを、こめかみに銃口を突きつけて、日本政府が3日以内に550人の部隊をイラクから撤退させなければ、かれらを「生きたまま焼き殺す」と脅迫した。日本の小泉純一郎首相はこれを拒否している。家族らは先の木曜日に人質劇が始まって以来、カメラの前で泣きながら、まさにこの撤兵を訴えてきた。それにより小泉には次第に圧力が強まっていた。ところが、数百人のレポーターが押し掛けた水曜日の記者会見では、すべての家族たちが目立って沈黙がちになっていた。フィナンシャルタイムスの記者の「あなたは小泉政府の人質対策に満足していますか?」との問いに、「申し上げられません」と18歳の人質の父親である今井隆志は答えた。南ドイツ新聞の「あなたは日本政府の役人からあなたの批判を緩めるよう要求されたのですか?」との質問には「申し上げられません」。他の記者の「あなたはこれまでのように、イラクからの日本軍の撤兵を要求しますか?」にも「申し上げられません」。さて、東京の政界の観察筋では、日本政府の役人の人質の家族たちへの「助言」があったのではなかろうかとの推定がなされている。その証拠はなにもないのだが、しかし家族らの畏縮(いしゅく)ぶりは見過ごせるものではない。「どうかみなさん、わたしたちの家族の命を危険にするかもしれない質問をしないでください」と井上綾子は嘆願した。彼女は数日前には撤兵と小泉との面会を公然と要求していたのである。(翻訳おわり:訳責はすべて梶村太一郎にあります)




-----Original Message-----
From: 北海道AALA [mailto:AALA-HOKKAIDO@ma6.seikyou.ne.jp]
Sent: Thursday, April 15, 2004 11:43 PM
To: nousbases@lists.riseup.net
Subject: [nousbases] Thank you verymuch for all your help

Dear friends,

I am Asako KAGEYAMA, a NGO staff in Hokkaido Japan, who wrote a letter to ask you help the three Japanese citizens who captured in Iraq.

Tonight, I heard the news that they have released, I saw them on TV in good health.
Thank you very very very very very much for everything you have done for them and us.

Since I wrote the letter, I have got many responces from many places of the world, that are big encourragement to us all. From time to time, groups of the people associated to WSF and this net works have been sending us the news about them. It has helped us a lot to keep on believing that they would be released.

We all know it is the supports and efforts from the people of Iraq, Arab and the world that made this happen. It was a good experience for us all to know how the world related and how people work together to make things happen.

In return, we promise that we will work even harder to pull our troops back to Japan and end the occupation.

I wish I could express my feeling and thankfulness more freely (fluently).

I love you all...
Thank you very much


Asako KAGEYAMA

hoping 2 more to be released soon..

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Hokkaido Asia, Africa, Latin-America Solidarity Committee (Hokkaido AALA) add./Koei-so, 21, N17 W3, Kita-ku, Sapporo,Hokkaido 001-0017 JAPAN
phone/+81-11-747-0977 fax/+81-11-717-0997 http://ha6.seikyou.ne.jp/home/AALA-HOKKAIDO
e-mail/ aala-hokkaido@ma6.seikyou.ne.jp

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Hokkaido AALA AALA-HOKKAIDO@ma6.seikyou.ne.jp


-----Original Message-----
From: miho cs [mailto:miho3578@wanadoo.fr]
Sent: Sunday, April 18, 2004 3:32 PM
To: noduproject@yahoogroups.jp
Subject: [noduproject][01497] ル・モンドの記事の翻訳が届きました。今井君たちを評価しています。

17日付の仏紙ルモンド(抄訳)
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3230,36-361386,0.html
Japon : l'élan humanitaire
LE MONDE | 16.04.04 | 14h01 • MIS A JOUR LE 16.04.04 | 20h47
「日本;高揚する人道主義」

阪神大震災以降、日本の高度経済成長期に生まれた子供たちは、日に日に人道活動やボランティアに数多く従事するようになった。イラクで人質になった彼等の仲間もそうだ。
イラクで人質になった若い日本の三人は、イラクの泥沼の中で、善意だけを頼りにいったい何をしようとしていたのか? 自覚がないのか、それともナイーブなのか? 彼等以外に拘束されたと見られる二人の若者についても言えることだが、この出来事は日本の若者の間において利他主義の価値観が強まっていることを示すものである。
日本では、何も自分のことを主張せず、ネクタイと背広のサラリーマンの中で埋もれ、「カワイイ」とか流行ばかり追いかけるとらえどころがない若者が多い中で、しっかりしていて快活で社会の変化に貢献するような若者たちもいる。
この三人の経歴を見てみよう。高遠菜穂子、34歳、マリア・テレーザ創立の機関でインドにおける慈善活動に従事したのち、ストリートチルドレンを助けるためにイラクにやってきた。今井則明、18歳、高校を卒業したばかり。反戦運動に従事し、イラクの合同軍の劣化ウラン弾による被害状況についてリポートを書きたいと思っている。旭川では小さなルポルタージュ記事も書いたことがある。
郡山壮一郎、32歳。フリーのカメラマン。自衛隊員、運転手をした後、写真家になった。三人は、そのそれぞれのレベルで、世界を変えようと云うような大げさなことではなく、手の届く範囲で助けを求める人々に手をさしのべようとしていた。アンマンのホテルで知り合いタクシーでイラクにはいり拘束された。
1970年から80年にかけて、日本人の若者でアジアの各地をルンペン旅行するものが居たが、彼等はごく少数派にしか過ぎなかった。今日、日本では男女を問わず多くの若者たちが無数のNGO活動に携わって海外に出かける。アフリカやアジアのとんでもない奥地へである。大学生が夏休みに出かけるのもいるがフルタイムでそんなことをする若者の方がずっと多い。日本の世間は、三人の向こう見ずな錯乱した行いを執拗に非難して三人の家族を責めるが、多くの親たちはいつなんどき彼等の子供たちが同じような行動に出ないとは限らないことを良く知っているのだ。
すべての若者が夢を実現できるとは限らないが、日本列島は、こと世界的な人道主義の高まりという動きの中で決してマージナルな存在ではないのである。日本ではさらに高年者たちまでがNGO活動に参入を始めている。それぞれ個別の活動は地味で小さいものの、確実に日本で市民社会が形成されつつあることを物語っている。
世界第二の経済大国とかが世界の新聞の見出しをにぎわすが、本当の日本の強みとか創造性は、経済指標には現れないこうした市民活動にあるのである。
日本のNGO組織は欧米のものと較べると規模が小さくバラバラである。地域性が強いのが特徴だ。規模が小さいからこそ多様性があり、それが強みともなっている。多様性があるからこそ連帯の精神も生まれる。
老年若女、いろんな人たちが参加している。引退した大工さんが発展途上国の技術指導に行ったりもする。これらの運動は日本の新しい国際的存在感を産み出している。
また国内においても新しい就業形態を産み出している。「ボラバイト」(ボランティアとアルバイトを合わせた言葉)すらある。
日本が苦しんでいる長い経済不況は、生産性と経済発展という60年代から80年代にかけて日本を支配した神話をうち砕いた。おかげでその期間は端っこに押しやられていた市民社会というものが息を吹き返したのである。
多くの人には苦痛であるが経済の低成長化と「失われた20年」が、市民社会を押しつぶしていた「発展主義への固執」を弱め、また政官財の利益関係のスキャンダルが繰り返し暴露され、ようやく社会を押しつけていたいままでの価値システムが壊されたのである。「ジャパン・インク」とよばれるものが死んで、その後にNGOが花を開いた。
(繰り返し)
流行を追いかけてモードにお金をかける若者は日本の若者の一部でしかない。もっと多くの若者がそれ以外のことに興味を示し、親たちから離れて新しい文化的なことをやりたいと思っている。長引く不況は社会の病気をうんだ。分裂病的に自分を社会から隔離して、セクト教団に入る若者や、パソコンの前に張り付いてバーチャルな世界に遊ぶだけのオタクとよばれる若者を生んだ。
その一方で、利他主義に生き甲斐を見いだす地味な若者たちも多く居るのである。ある女性は銀行に就職し二年勤めて、米国勤務も経験したが、帰国してから28歳でNGOの道に入った。「物質的な欲望は少ない。銀行で働くよりNGOの方がチャレンジングだ」と彼女は云う。
彼等は一般的に地味で、あまり目立たず、理屈をこねたり大風呂敷の議論をするよりは実践を重んじる人たちである。彼等の資本は有り余るほどの善意だけだ。組織は弱体で要員の質もそれほど高くはない。お金がないので小さいプロジェクトしかできない。多くは個人の献金で成り立っている。日本の慈善活動は、2003年に発表された報告書によると寄付金額全体では世界でも高い方である。しかし多くの日本のお金は大きな国際機関に流れ、日本の零細NGOには資金を集める能力がない。
活動家の最初の世代は60−70年代の学生運動家だった。しかしいまは違う。もっと若い世代で組織だったものではない。でも阪神大震災の時、未だかってみられなかったような連帯を示した。130万人ものボランティアが集まったのだ。まさに国家の影が薄くなり「市民社会」が出現している。もちろん混乱はあったが、彼等は巨大な動員力を示した。以来、NGOは急速に増えてきた。
1998年の法律でNGOの設立が、欧米の基準からすると税制面などで不十分な子のではあるが、認められるようになった。効率が悪いODAにかわる活動も組織的にできるようになった。政府はNGOが日本の国際イメージの改善に繋がることを知りNGOのあるものについては政府か支援するようになった。しかしほとんどのNGOは独自性を維持するために政府からお金を貰っていない。
日本がいま其の平和ドクトリンを捨て去ろうとしているとき、NGOがいま新しい戦争反対の推進者となろうとしている。イラクで捕まったこの三人はこの理想を共有していた若者である。ボランティア運動の常として、彼等の平和運動も一つにまとまったものではない。ヨーロッパに老いてみられるような大規模なデモもない。しかしいったんこのバラバラな運動に火がつくと大きな運動に結びつく可能性がある。阪神大震災では、これが可能だと云うことが示されているのである。

Philippe Pons
• ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 17.04.04
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http://www.lemonde.fr/web/recherche_articleweb/1,13-0,36-361386,0.html

Japon : l'elan humanitaire
LE MONDE | 16.04.04  ?  MIS A JOUR LE 16.04.04 | 20h47
Depuis le seisme de Kobe, les enfants du boom economique japonais sont de plus en plus nombreux a s'engager dans l'action humanitaire et le benevolat, a l'image de leurs concitoyens pris en otage en Irak.

Qu'est-ce que ces trois malheureux jeunes Japonais, pris en otage par la "Brigade des moudjahidins" et liberes, jeudi 15 avril, apres une semaine de cauchemar, etaient alles faire dans le bourbier irakien, avec leur bonne volonte pour toute protection ? Inconscients, naifs ? Leur aventure, comme celle de deux autres ressortissants japonais qui ont disparu en Irak ces derniers jours apres avoir ete vraisemblablement enleves, est en tout cas revelatrice des valeurs altruistes qui animent une partie de la jeunesse nippone. Une jeunesse discrete, qui ne fait guere parler d'elle, mais qui montre que, entre le salarie en costume-cravate, les "minettes" tendance ou les "feux follets" des nuits branchees, il y a aussi des jeunes, graves et rieurs, qui contribuent par leur engagement aux mutations de leur societe.

Le parcours de chacun des trois premiers otages est revelateur : la jeune femme, Nahoko Takato, 34 ans, a une experience de benevole en Inde dans une institution creee par Mere Teresa, puis en Irak avec les enfants des rues ; Noriaki Imai, le plus jeune (18 ans), sorti en mars du lycee, s'etait implique dans le mouvement antiguerre et voulait ecrire des articles sur les populations civiles victimes des armes contenant de l'uranium appauvri utilisees par les forces de la coalition. Il avait fait un petit reportage sur la ville d'Asahikawa, en Hokkaido, sa region natale, au nord de l'archipel, ou sont bases les soldats partis en Irak.

Soichiro Koriyama, 32 ans, photographe independant, avait ete militaire puis chauffeur avant de se consacrer au photoreportage. Tous trois avaient en commun leur volonte de temoigner et, a leur niveau, sinon celle de changer le monde, du moins celle de tendre la main a ceux qu'ils pensent etre des victimes. Ils s'etaient retrouves dans un petit hotel d'Amman et, le 8 avril, ils avaient loue un taxi qui en treize heures de route devait les conduire a Bagdad. C'est a une centaine de kilometres de leur destination qu'ils ont ete enleves.

Dans les annees 1970-1980, on rencontrait a travers l'Asie des "routards" nippons : en rupture avec le Japon de l'expansion, ils partaient vers l'Inde ou le Nepal en quete de nouveaux horizons. Ils etaient une infime minorite. Aujourd'hui, nombre de jeunes Japonais des deux sexes que l'on croise dans les aeroports ou les lieux les plus inattendus du globe sont plutot des benevoles membres de ces innombrables organisations non gouvernementales (ONG) qui ont fleuri au Japon depuis une dizaine d'annees. Ils vont ou reviennent d'un trou perdu en Afrique ou en Asie dans le cadre d'actions humanitaires. Souvent, ce sont des etudiants qui profitent des vacances universitaires, mais il y a aussi de plus en plus de benevoles a plein temps. Les otages des insurges irakiens sont loin d'etre des "allumes" isoles. Et c'est bien ce qui emeut une partie de l'opinion japonaise : bien que certains harcelent leurs familles de critiques denoncant l'"egarement" temeraire de leurs enfants, beaucoup de parents pensent que leur fils ou leur fille, anime des memes ideaux, peut connaitre demain une aventure similaire.

Certains jeunes Japonais doivent sans doute "recadrer leurs reves", selon l'expression d'un benevole experimente, mais l'Archipel n'est pas a la marge de l'elan humanitaire mondial. Au Japon meme, de l'assistance aux personnes agees a la defense de l'environnement, de la lutte contre la pauvrete ou le nucleaire a la preservation d'une faune quelconque en passant par la reflexion sur la memoire nationale, on tombe tout le temps sur une ONG. Eparpillees, souvent de dimensions modestes et sans grands moyens, elles se situent pour la plupart hors du champ des radars mediatiques et passent a travers les mailles des filets des sociologues. Mais, avec des specificites qui tiennent a l'histoire du mouvement associatif dans l'Archipel, cette noria d'ONG infirme l'idee que, au Japon, la societe civile n'existe pas.

Le redemarrage de la seconde economie du monde fait les titres de la presse internationale, mais la veritable "reinvention" du Japon s'opere ailleurs que dans le redressement des indices : dans le poids que prend la societe civile. C'est la, parmi les cent mille organisations qui rassemblent quelque dix millions de benevoles, que bat le pouls d'un nouveau Japon.

Les ONG japonaises ne sont pas constituees en puissants mouvements qui s'imposent sur la scene internationale comme c'est le cas en Europe ou aux Etats-Unis. Il existe, certes, au Japon, des coalitions d'ONG ou des ONG transnationales, mais la caracteristique du mouvement associatif nippon reste l'eparpillement et l'enracinement local. Source de faiblesses, leur dimension modeste permet toutefois aux ONG de rester plus proches de leurs ideaux fondateurs que ne le sont les mastodontes de l'humanitaire. Et c'est par cet etat d'esprit diffus, leur opiniatrete a defendre des valeurs de solidarite, qu'elles exercent une influence. Leurs actions sont parcellisees, eclatees, mais elles ont un effet cumulatif sur les mentalites.

La societe civile mobilise les enfants de la prosperite, etudiants ou jeunes salaries (parmi lesquels beaucoup de femmes), dont les aspirations different de celles de leurs parents, mais aussi des retraites soucieux de rester actifs en partageant leur experience : fiers de leur savoir, des ingenieurs ou des menuisiers offrent benevolement leurs services a des ONG pour conseiller, assister ou former des jeunes dans des pays en developpement. La participation est une nouvelle maniere d'etre au monde des Japonais. Elle a donne naissance a une forme inedite de travail, a mi-chemin entre benevolat et emploi temporaire remunere : le volu-beit (neologisme forme de l'anglais volunteer et de l'allemand arbeit (travail), qui, au Japon, designe le petit boulot). La formule fait recette : les journaux de petites annonces ont desormais une rubrique benevolat.

La longue recession economique dont a souffert le Japon a brise le mythe du productivisme et de l'expansion a outrance qui avait domine les annees 1960-1980. Marginalisee pendant cette periode, la societe a pu se remettre en mouvement.

Douloureux pour beaucoup, le ralentissement de la croissance au cours des dix dernieres annees - dites "perdues" - a affaibli l'emprise de l'"Etat developpeur" sur la societe, tandis que les scandales a repetition dus a la collusion des interets du public et du prive erodaient le systeme de valeurs qu'il imposait. La societe civile, exclue du "triangle de fer" (pouvoir politique, bureaucratie et milieux d'affaires), qui ecrasait tout ce qui ne servait pas ses objectifs, s'est engouffree dans la breche ouverte par le discredit de feu Japan Inc. Dans une societe plus ouverte, les ONG contribuent a une fermentation pluraliste.

Les jeunes Japonais qui partent a l'etranger dans le cadre d'actions humanitaires en reviennent pour la plupart bouleverses, transformes : "Je ne savais rien du monde", reconnait Ayako, 22 ans, etudiante en sociologie, "par exemple de la vie dans la rue, de ses regles". Une rafle des enfants des rues dont elle s'occupait a Manille l'a, par exemple, beaucoup marquee.

Avec un retard de quelques decennies, on assiste au Japon au phenomene post-materialiste observe dans les societes industrielles des annees 1970-1980. Sous l'effet de la prosperite economique assuree et de la mondialisation qui a "banalise" certaines valeurs (assistance humanitaire, droits de l'homme, protection de l'environnement), la societe japonaise a rapidement muri. La mondialisation, en particulier, a accentue le caractere cosmopolite de la culture ado en apportant une dimension altruiste a une jeunesse desormais "sans frontieres", plus ouverte et attentive a l'etranger. Les benevoles reviennent souvent de sejours a l'etranger avec le sentiment qu'ils ont "recu plus qu'ils n'ont donne", constate une pedagogue en herbe. Bien que les adolescents nippons soient nourris de culture americaine, les peuples des pays ou ils se sont rendus, en particulier en Asie, leur semblent "plus proches", ajoute-t-elle.

La consommation et la versatilite des modes continuent a motiver une partie des jeunes Japonais, mais beaucoup aspirent aussi a d'autres satisfactions et rejettent la soumission de leurs parents a la "culture de l'entreprise". La recession a fait naitre un sentiment de malaise, qui s'est traduit par des phenomenes d'alienation : succes des sectes, repli sur soi des otaku (emmures) scotches au monde virtuel de leur ordinateur.

Mais, a ces derives, fait pendant la quete plus discrete d'autres jeunes Japonais qui trouvent dans l'altruisme le "supplement d'ame" qu'ils cherchent. Telle jeune femme promise a une carriere d'analyste financier dans une grande banque, apres avoir passe deux ans dans une de ses succursales aux Etats-Unis, a vire de bord en rentrant au Japon. Elle a ete benevole a temps partiel puis, a 28 ans, elle a decide de travailler a temps complet pour une ONG luttant pour la defense de l'environnement. "J'ai peu de desirs materiels et je trouve plus de defi a ce que je fais aujourd'hui que dans la routine d'une banque", dit-elle.

Menant une existence modeste, fondus dans les populations locales, peu enclins a "se prendre la tete" dans de grands debats sur le sens de leur action, les benevoles japonais se contentent d'agir avec un enorme capital de bonne volonte. Mais leurs organisations presentent des faiblesses : le personnel, aussi motive soit-il, n'est pas toujours suffisamment qualifie ; peu visibles, fonctionnant grace a l'entraide de leurs membres, elles ont des difficultes a se financer et se concentrent le plus souvent sur de petits projets. Beaucoup vivotent, dependantes de donations individuelles. Les Japonais ne sont pas moins charitables que d'autres peuples, souligne un rapport publie en 2003, Japan's Culture of Giving and Non Profit Organisations, mais les ONG nippones manquent d'experience dans la collecte de fonds. La disposition caritative des Japonais n'a pas echappe en revanche aux organisations humanitaires internationales : l'Archipel constitue un gisement de financement dont elles s'emparent avidement, au detriment des ONG locales, plus discretes.

Les premiers groupes associatifs ont souvent ete crees par d'ex-militants des grandes luttes etudiantes ou ecologiques des annees 1960-1970. La societe civile nippone d'aujourd'hui n'est pas nee ex nihilo : les mouvements de citoyens qui ont lutte contre la pollution ou contre la guerre au Vietnam en furent les ferments. Mais il a fallu le seisme de Kobe, en 1995, pour susciter un elan de solidarite sans precedent de la part des jeunes : 1,3 million de volontaires se sont succede dans la ville sinistree. Alors que l'Etat "pataugeait", la societe civile etait la : dans une certaine confusion certes, elle s'est imposee par sa capacite de mobilisation. Et, depuis, les ONG n'ont cesse de se multiplier.

La loi de 1998 a donne une reconnaissance legale aux NPO (Non Profit Organisations, expression passee dans le langage nippon) sans toutefois leur accorder les privileges fiscaux de leurs homologues occidentales. Longtemps en opposition au pouvoir, les groupes associatifs sont en outre entres dans une interaction avec l'Etat qui, sous la pression d'une association pionniere, Japan International Volunteers Center, a reforme une politique d'aide au developpement qui avait donne lieu a des gaspillages et a des detournements de fonds. Conscient que les ONG contribuent a ameliorer l'image du Japon a l'etranger et qu'elles sont plus au fait des realites du terrain que les organismes publics, l'Etat en assiste financierement certaines. Beaucoup restent sur leurs gardes, de peur de perdre leur autonomie.

Au moment ou le Japon est en train de renoncer a sa doctrine pacifiste, les ONG vehiculent de nouvelles formes de refus de la guerre, de la violence et de l'intolerance : des ideaux dont sont porteurs les trois premiers otages en Irak. Comme le mouvement associatif en general, ce pacifisme est parcellise. Il n'y a pas de grandes manifestations comme en Europe, mais plutot un etat d'esprit diffus qui, sous l'effet d'une etincelle, peut se transformer en mouvement. Le tremblement de terre de Kobe a deja montre que c'etait possible.

Philippe Pons